フィンランド・台湾留学→起業→大手人材系企業に転職→株式会社LITALICOに転職 青木優さんの就活とキャリア
青木さんについて
「大学生の時、女性のキャリアとワークライフバランスをテーマにフィンランドと台湾に計10ヶ月間留学しました。留学前は、既に敷かれてあるレールから反れないように生きることが正しいと思っていましたが、留学してその考えが変わりました。一度きりの人生だからやりたいことをしよう!と起業し、その後は大手人材派遣会社への転職を経て、半年前に株式会社LITALICOに転職しました。LITALICOは「障害のない社会をつくる」をビジョンにかかげ、就労移行支援や学習教室など障害当事者に向けた事業を展開していて、私は障害当事者を取り巻く「社会/環境」にアプローチする業務を担当しています。」
中高時代は「優等生タイプ」。
苦手なことも「やればできる」と思っていた。
私は物心ついた頃から勉強するのが好きで、学校の成績も良いほうで、運動会のような学校行事にも大変熱心に取り組むタイプでした。お友達の親の中には「うちの子は〇〇が苦手だ」というようなことを言う人がいましたがが、母はそういう表現を使わない人で「苦手に思えることもやればできるようになる」と言っていました。中学と高校ではいわゆる「模範生徒」で卒業証書授与代表に選ばれたり、人から評価されることを生き甲斐にしてきました。
人生初の挫折は大学受験の時。
高校での成績が良かったこともあり、将来は東大に行って小さい頃から大好きだった飛行機に携わる仕事に就きたいと考えていました。しかし、東大受験で失敗。人生で初めて挫折を経験した瞬間でした。結局、後期の試験で受けていたお茶の水女子大学に進学。航空の次に興味があったのが建築だったことから、生活科学部人間・環境科学科への入学を決意しました。飛行機関連の勉強がしたくて理系を選んだのに、大学では飛行機の勉強ができず、かといって他に熱中することも見つからず、燃え尽き症候群のようになっていました。「あの頃は死んだ目をしていた」と母に言われたこともあります(笑)
お茶の水女子大学での学生生活。
それでもお茶の水女子大学での授業は面白いものも多くありました。特に興味を抱いたのが女性のキャリアとライフイベントの両立をテーマに扱った授業です。「女性リーダーへの道」という各業界からゲストスピーカーを呼んでキャリアについて講演する授業や、自分がやりたいと思っていることをワークシートに書き込みキャリア観を明確にする授業などがありました。中学時代から長年女子校にいて、男女差を感じて生きた経験がない私は、女性も一人の人間として普通に活躍できると思っていました。しかし、大学の授業を通して、どうやらそうではない現状に気付いたのです。思い返してみれば、私の両親も母が専業主婦で、同じように教育を受けてきたのになぜ父(男性)は仕事を続けられて、母(女性)は仕事を続けられないのか?女性はキャリアと子育てをどちらも完璧に両立させることは無理なのか?と色々な疑問が浮かんできました。
高校で留学している友達が何人もいた影響で高校の頃から留学してみたいという想いはありました。それでも、当時は受験勉強に必死で、留学は大学に入ってからにしようと諦めていました。実際、大学に入ってキャリア教育に興味を持ち、日本人女性のキャリアと子育てのバランスに問題意識を感じ始めた頃に「男女平等国家フィンランド」というキャッチコピーのフィンランドのパンフレットに出会いました。日本以上に女性の社会進出が進んでいるフィンランドから学べることがあるかもしれないと思い、留学を決意しました。両親も快く背中を押してくれたのが嬉しかったです。高校時代のあだ名が「Yu Aoki」というくらい海外経験がありそうなオーラを醸し出していた(笑)にも拘らず、海外に長期滞在するのは実はこの留学が初めてでした。
男女平等国家フィンランドで得た気付き。
約5ヶ月間滞在したフィンランドでは、交換留学先のタンペレ大学で、社会福祉・ジェンダーの授業を受講しながら、フィールドワークとして保育施設や労働者のための社会福祉施設への見学、女子大生へのキャリアに関するインタビュー調査、ワーキングマザーへのインタビューや子育て家庭への訪問などを実施しました。フィンランドの女子大生はどのようなキャリアを描いているのか?キャリアとライフイベントを両立させてきたママたちはどのようなキャリアを描いてきたのか?インタビューという形式で話を引き出しながら、意識面に着目して調査をしました。その中で、フィンランド社会に存在する「人の選択を理解し尊重する雰囲気」に行き着き、その雰囲気が形成される要因として初等教育に目をつけてからは、小学校などの教育現場を見学したり、フィンランドの初等教育に関する授業を受講しました。
それらの活動を通して気付いたことは、フィンランドでは働いていることがお母さんでもお父さんでも当たり前だということ。「専業主婦」という考えはありません。税金が高いこともあり共働きは当たり前です。それでも残業時間は日本より遥かに短く、仕事が終わるのが早いため、子供を預ける必要もありません。日本人女子学生のように将来に不安を抱いている人は見受けられませんでした。
台湾にも約5ヶ月間滞在。
フィンランドでの滞在を終えると、今度は台湾で5ヶ月間交換留学生として国立台湾大学に通いました。台湾を選んだのは、北欧と日本を比較するだけでは日本をよりよくすることは難しく、もう少し日本に近い地域の現状も把握したいと考えたためです。
台湾では、交換留学先の台湾大学で中国語と公共政策の授業を受講しながら、大学生インタビュー、ママコミュニティや学童保育への取材、子育て家庭訪問などをフィールドワークとして実施し、地域コミュニティでの子育ての形を調査しました。その活動の中で、家族間でうまれる会話やつながりの重要性、人に頼りながら助け合っているワーキングマザーたちの余裕などを発見していきました。台湾の社会保障制度はしっかりしていないですが、親世代は子供の将来のために働くという考えがあり、近くに住む祖父母が手伝うことが当たり前でした。 日本ともフィンランドともまた異なる子育ての方法は実際に現地に行ったからこそ認識することができたと思っています。
ちなみに台湾では、フィンランドで出会った友人の家にホームステイをしていたのですが、現地のお母さんには中国語しか通じず、最初は苦労しました。中国語は、大学の第二外国語で履修していました。そのため、文法は少し分かるけど、話すのは難しいという感じでした。ホストファミリーとは中国語で話す毎日。最初は難しそうに思えても、日本人にとって中国語はそこまで難しくないのかもしれません。漢字を見たら意味の予測ができるし、発音も慣れたら推測できるようになり、少しずつ会話が通じるようになってきました。
これは私のプライドの問題も関係していますが、フィンランドで英語が思うように話せなくて嫌になったのは、できない自分を認めることが悔しくて、分からないことを素直に分からないと言えないためでした。その点、第三外国語である中国語は「勉強するだけですごい」という温かい目で見られることも多く、考えすぎず素直に会話しようという姿勢が結果的に言語の習得に繋がったと考えています。
留学で得た学び。
合計10ヶ月間の留学生活から学んだことは、人は他の人に支えられて生きていて、愛すべき存在は身近にいるということです。大きな枠組みの制度を作ることも必要ですが、それ以上に人が互いに支え尊重し合える価値観を現場で根付かせることが重要だと気付けたことが、留学で得た一番大きな学びです。そして、自分が本当にやりたいことにも出会うことができました。
帰国後にやりたいことを実現するため起業。
帰国後は普通に就職活動しようと思っていましたが、留学を通して日本人女性が抱える課題と、自分が解決したい課題が明確になりました。みんなで子育てをするような、子供を育てやすい社会にしたいという思いから、留学前から所属していた学生団体に留学後も戻ったところ、共に活動していた代表が事業を法人化したいと言っていました。
良い学校に行き、良い成績を取るということを大事に歩んできた私は、起業して目の前に敷かれたレールからはみ出すことに正直不安や恐怖もありました。。しかし、トビタテの友人や起業した先輩、そしてトビタテ創設者である船橋力さんにも相談したところ「就活しなかったとしても、生きられなくなることはないと思うよ。がむしゃらに頑張った経験は必ずどこかで評価される。」と言われました。当時は、新卒で大企業に入ることが人生の正解という風に考えていましたが、周囲にどう思われるか?ではなく自分の本心と向き合い、本当にやりたいことに人生を捧げたいと思い、就職活動をやめて起業する決意をしました。
大学4年生の冬に「家族をひろげ、一人一人を幸せに」というビジョンの会社を創業。若者が"子育て家族"のロールモデルに出会い選択肢を広げると共に、子育てしている家族にとっても、社会の関わりを増やして共に子育てをすることができるような若者と家庭のマッチング事業を運営しました。加えて、各企業・自治体さんに向けて、女性活躍・ダイバーシティ推進に繋がるような事業を作っていました。
起業家時代はピッチにも多く登壇。
株式会社リクルートキャリアへの転職を決意。
大学を5年で卒業するまでの1年間と卒業後の半年間を起業家として幾つもの事業を考え動かそうとしましたが、もちろん継続させることは簡単ではありませんでした。事業を作るという経験をして感じた「足りない力」、それは、目の前の人が何に困っているのかをきちんと把握し、その役に立てるものを提供する力でした。ビジョンはしっかりしていたものの、そこに向けて本当に困っている人は誰なのか?という分析する力が足りないと感じました。徐々に売り上げも頂けるようになりましたが、自分たちのサービスを届けることによって、顧客が本当に幸せになっているのか分からなくなることもあり、もう一度しっかり勉強したいと思いました。
その時に出会ったのがリクルートキャリアです。実は、就活をしていた頃にも一度リクルートのインターンに参加していて興味はあったのですが、、一度起業をしたのにもかかわらず半年遅れて入るのをプライド的にも悩んだりもしたのですが(笑)、今思えば起業経験を積んでから入社することができて良かったと感じています。単純に成長したいという思いだけでなく、目的を明確に持って転職することができました。
リクルートにはビジネスの根本・基準がきちんとあります。企業が求めているものやサービスを提供しているからこそ、大きな企業として存在することができていますから。そのリクルートの営業として、ビジネスの基準を学ぶため、求人広告の首都圏リテール営業として働きました。その間はただただ目の前の企業の課題にまっすぐに向き合い、自分の持ち場で活躍することを大事にがむしゃらに邁進し、表彰もしていただきました。リクルートではビジネスの基礎だけでなく、課題を見つける力を身につけることもできました。リクルートで営業を担当した経験は今後の人生においても役に立つと考えています。
事業開発に携わるため株式会社LITALICOへの転職を決意。
リクルートキャリアでの営業が2年程経つ頃、「社会で価値がある事業を作りたい」と考えていた私は、目の前の企業の課題に向き合うだけではなく、事業開発にもう少し近い経験ができる仕事をしたいと考えるようになりました。
自分でも求人サイトやエージェントに登録して「事業開発」や「教育」など興味のあるキーワードから転職先を探していた時に、あるきっかけで今の会社であるLITALICOの人事の方から声をかけていただき、自分のやりたいこととぴったりだと感じ転職を決断しました。LITALICOは「障害のない社会をつくる」をビジョンにかかげ、就労移行支援や学習教室など障害当事者に向けた事業を展開している会社です。障害福祉の分野で一部上場するのは大変珍しいことで、ビジネスとしての経験値を持っている人が経営に関与していからこそ会社としてうまくいっているのだと思います。
私の仕事は、障害当事者を取り巻く「社会」の側にアプローチすることです。社会の中には、マジョリティ仕様に作られた商品や、よく分からないが故の偏見や、知らぬ間に当たり前になってしまった働き方の仕組みなど、いわゆる"マイノリティー"と呼ばれる人たちにとって生きづらさに繋がる問題がたくさんあります。障害は人の側ではなく、社会の側にある。それなら、社会の側にあるハードルを取り除くような仕掛けをして、皆にとっても使いやすい商品や、生きやすい環境を作ることができれば、障害を感じて生きる人は少なくなる。私はそのような「仕掛け」をつくる役割を担っています。LITALICOでは、営業だけでなく、あらゆる部署の方と交流する機会に恵まれ、各部署の現状や各事業の作り方に関して意見交換することができています。
今後の目標は社会で価値がある事業を作ること。
現在はソーシャルビジネスに真っ向からチャレンジできる環境に身を置けています。将来的には自分で事業を立ち上げて、事業単位で影響を与えられるものを作りたいと考えています。今の部署は、新しいものを作っていける環境があるので、影響力があるものを責任あるポジションで作ってみたいです。
また、キャリアとライフイベントを両立した生き方を実現したいとも思っています。大学生の頃、授業でジェンダー論を語ることに疲れて嫌になり、議論をしてもしょうがないという域に達することがよくありました。変わらない社会構造を変えることは大変です。それでも、やりたい分野で活躍しているロールモデルみたいな人がいれば少しは不安が解消されると思うし、自分がそう思えなかったのはロールモデルを見つけられなかったからだと思うので、自分が頑張ることが次世代を担う人の背中を押すきっかけになったら嬉しいです。
人生を変える出会いをくれたトビタテの仲間たち。
青木さんの事業立ち上げタイムライン
青木さんからのメッセージ
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※留学大図鑑とは…海外にトビタった経験を持つ1757人(2021年2月現在)の留学体験談をもとに、計画の立て方や課題の解決方法を検索できるサイトです。留学を検討している人は是非活用してみてください!